土曜日に「NPO熊本支援の会」のボランティアでホームレス支援のために「おにぎり」つくりが行われました。毎年1回が大江教会の担当となりました。女性会の皆さんが前日から準備され、朝早くおにぎりを準備されていました。牧師は宇土教会の礼拝のため、お祈りだけ参加させていただきました。
さて、その様子をすぐにフェイスブックにアップしました。フェイスブックって何?と聞かれると説明が大変ですが、友達の友達はみんな友達。輪を広げていこうというようなブログ形式のコミュニケーションツールです。わかりますかね。そのFBに活動のしょうかいをさせていただきました。すると1分以内にアメリカからコメントが書き込まれていました。世界って本当に狭くなりました。情報が瞬時に世界を駆け巡っているのです。
そのコメントは「西洋の食事の準備よりも手がかかりそうですね」というものでした。きっとパンとスープよりも準備が大変ということでしょうか。しかし、日本人にとって「おにぎり」をつくるというのはそんなに大変ではないように思います。また、日本人が愛情を一番込められるのは「おにぎり」だと思います。なにせ1個1個を丁寧にむすんでいくわけですから。アメリカではパンとスープに愛情がこもるように、「おむすび」には愛情のほかに友情や、支援の気持ちもむすばれているのではと思うのです。
イエス様は病気の人に「手をさしのべられたという」記事が聖書にでてきます。もしかするとさしのべたと言うより、手を結ばれたのではないかと思います。イエス様から差し出された手を結ばれたひとは、イエス様がその手を離さない限り、いつまでもイエス様と共に歩むことになります。私たちが結んだ手ではなく、イエス様が結んでくださった手に、神様の大きな愛を感じるのです。今回むすばれた「おにぎり」はすでにくばられていることでしょう。きっとキリストの愛を召しがっておられるはずです。