箴言 20:24 人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。
目的地にいくまでにすることはたった一つ。それは「一歩踏み出すこと」という言葉を読みました。確かにそうだなと思います。ある目的があっても一歩踏み出す前に、あれこれと考えできないとあきらめてしまう。むしろやらない理由を探しているようなことさえあります。目標を達成するのに大切なことは、「始める」ということで「考える」と言うことではありません。目的地は既に決められているならば、あとは一歩前へ進むことしかないのです。しかし、この一本の勇気が出ないで苦しんでいる人が多いものです。
箴言の20章には、心の中にある深い知恵について語る箇所があります。5節「思い計らいは人の心の中の深い水」という表現で出てきます。これは汲みだすことが難しいということです。心の中にある隠された計画は、他人にはよくわからない。しかし、賢者はそれを見つけ出すことができる。その賢者とは神様と共に歩む者だというのです。
あるスポーツのコーチが指導方法について書いていました。選手が壁にぶつかった時はどうするかということです。選手が全然うまくならないときがある。その時は「なんでうまくならないのだろう」と悩みます。そんな時にコーチは「でも今日はひとつだけ、何かを上手にして帰らそう」と思うのだそうです。そしたらいつかうまくいく。家が片付かなくて途方に暮れる時、パニックになってもしょうがない。そんな時は何も考えずに、何かを一つ動かす。するといつかは片付くのだと。立ち止まるのではなく、一歩でもいいから前へ進むことだと言うのです。
箴言は「人の一歩一歩を定めるのは主である」といいます。人間はどこへ行くのか、自分の道についても理解してはいない。しかし、神様は人がどこへ行くかを知っておられるのです。またその一歩を定めるのも神様なのです。この神様に信頼し、勇気をもって一歩踏み出す時に新しい道が開けてくるのだと言えます。行き詰った状況の中でそれを解決するには、神様を信頼して今日一歩を踏み出すことなのです。
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