2コリント 5:17 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
隣のマンションから毎朝のように親子の会話が聞こえてきます。「早くしなさい」「まちなさい」「ゆっくり歩きなさい」「忘れ物はないの」「あれやったの」と。あまり朝からききたくないかなと思います。何か言われるたびに子供の声が聞こえます。「あとからやる」と。きっとあとからもやらないでしょうね。今やれないことが、あとからできるとは思われないからです。何か問題を後回しにすれば、それはもうできなくなるような気がします。「あとで」ではなく、「いま」なのです。神様が下さった時間は常に新しく、あとでと言う時間はないのだとつくづく思います。
パウロは「キリストに結ばれる」と「新しく創造された」という言葉を並べています。この言葉に共通するものは「キリストにあって」ということです。この「キリストにある」とは、キリストを信じる信仰によって「新しく創造される」ことを意味しています。キリストに結ばれた私たちは、十字架と復活の恵みによって日々新しく創造されていくというのです。キリスト者にとって大切なのは「いま」を生きることです。今日与えられた1日は、いままでの人生の中で最も新しい日です。その「いま」をキリストにあって生きる事を教えています。
事務局にいた時は、誰よりも早く出勤していました。それでも掃除のおばちゃんだけはもっと早く来ておられました。職員の人たちが朝来て気持ちいと思って仕事を始めていただけるようにというポリシーを持っておられたのです。朝5時にはいておられるとか。そのおばちゃんと仲良くなりよく会話をかわしました。ある日、ゴミバケツを磨いておられました。そのバケツは事務局の建物が建ったときに購入されたもので35年以上も使用しているとのことでした。でも新しく見えるのです。その理由は、毎朝おばちゃんが時間をかけて溝の中と隅々まで手入れをしていてくれるからです。これはすごいことだと思います。日々、新しく創造されていくとはこのようなことなのだと教えられました。その時のおばちゃんの言葉は「あとではなく、いまやる」でした。
パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」と教えています。キリストを信じる信仰は、あとからではなくいま受けるかどうかです。あとから結ばれるではなく、いま結ばれることです。この「いま」が、新しく創造された者となることの大切な要素だと思います。「あとから」という考えでなく、神様の恵みは「いま」を求めています。
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