エフェソ 2:21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
教会の玄関にはいつも花が咲いています。教会におられる「花レンジャー」さん達がお世話をして下さっています。いつも見事に咲いていますので、場所や器に合った植え方をして下さっているのだと思います。私などはプランターの花をすぐに枯らしてしまうほうなので、何か花を植えるときの基本が間違っているのかもしれません。愛情が足りないといわれればそれまでですが、大切な何かがかけているのではと思わされます。
使徒パウロは「キリストにあって一つとなる」ことを教えています。それは「キリストは私たちの平和」だからです。私たちの中心にキリストがあるとき、一つとなって神様の御用をすることができるのです。どんな働きや関係であっても、中心にキリストを置くことをすすめています。それが「かなめ石」としての、キリスト・イエスの存在だと教えているのです。
4月に100円ショップでサボテンを見つけました。部屋に緑もいいかなと「金のなる木」「アロエ」「ワカミドリ」を買いました。先週のこと、少し大きな器にしてあげようと思い、結構大きめの器に植えかえをしました。すると瞬く間に成長し、いまは1.5倍位になりました。この数日で?と思いましたが、器を大きくすると大きく見えるのかもしれません。いや、成長しているのも事実です。器が大きく変わることによって変化がある。私にとって成長することはうれしいことでした。しかし、卓上ミニサボテンの意味はなくなりました。大江教会もよき変化があらわれています。その変化が教会のさらなる成長へとつながっていけばいいなと思います。
しかし、私たちが一番に考えねばならないのは、ここの中心にはキリストがおられることです。パウロは「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります」と教えています。。このキリストが私達に働きをゆだねておられます。大江教会の宣教を支える使命をキリストから委ねられています。そのために器を整備し、器にあった働きをめざしていきましょう。
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