マタイ 8:17 彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
「自分の死を見据えて生きる」と言う言葉を聞きました。キリスト教の考え方からすると、死だけでなく、復活を見据えて生きるということだと思います。ただ「死を見据えて」と言っても、そんなに簡単にできることではありません。本当に自分の死が見えてきたら、人は避けてとおりたくなるでしょう。自分の死を見据えるなんてできない。しかし、共に見据えて生きておられる方を思うとき、少し安心して見据えることができるようになります。その共にがキリストだと言えます。
イエス様はペトロの家へ行き、熱を出して寝込んでいるしゅうとめを癒されました。その後、病を患っている多くの人々を癒し、悪霊に取りつかれた人々に御言葉によってその悪霊を追い出されました。福音書記者マタイはその様子をみて、イザヤ書にある預言の成就みました。それが「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」です。
難病の友達をもつ牧師からメールをいただきました。そこには「私の親しい同じ歳の友人がALSという難病に昨夏より罹ってしまいました。彼は、えん罪によって自分が死刑囚になった思いがすると言っていました」と書いてありました。とても辛く心が痛くなりました。えん罪による死刑囚という言葉に、どうすればこの方の心に寄り添えることができるかと思います。
イエス様は、わたしたちの患いを負い、病を担ってくださいます。それは十字架の主だからです。イエス様のみが、病の中で共に歩んでくださる唯一の神様です。私たちはその存在があることを感謝したいと思います。
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