マタイ 17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。
牧師になって25年、年齢も52歳になると、自分が牧師であることを外から見つめなおす時があります。若い頃は、牧師でも人の子、酒も飲むし、カラオケだって行く。あるがままでいいじゃん、と思っていました。ところが「牧師さんが酒を飲んで騒いでいるのを見てつまづきました」という言葉をいただきました。その時から、牧師として生きる事、つまづきを与えないこと、どう生きればいいかを考え始めたのです。外から見る、牧師としての自分は人をつまづかせていないか。節度を保っているか。つねに考えるようになりました。
神殿税の徴収人がペトロに「イエスは神殿税を治めるか」と尋ねました。ペトロはイエス様に聞かずに「納めます」と答えます。イエス様は神殿への自発的な献金は薦めていますが、律法で強制的に徴収される神殿税に対しては否定的だったと思われます。しかし、ここでは「つまずかせない」ために奇跡を行われるのです。大切なことは「彼らを」は誰をつまずかせないためであったかということです。
人をつまずかせること。自分ではそんなことは考えてなくても、知らないうちにつまずかせてしまっていることがあります。しかし、反対に慰めているときもあります。ある新聞の投書欄に次のような記事がのっていました。「遠い昔のことなのに、心に残っている言葉があります。それは『和子姉ちゃんが一番きれい』という一言です。田んぼで鬼ごっこをして遊んでいたとき、近所の、小学生に上がる前の女の子が、私の手にぶらさがりながら言ってくれたのです。お世辞にも美しくなく、肥満体という劣等感をもっていた少女だった私は、その後、失恋したときも、他人から侮辱されたときも、この言葉によってどのくらい慰められたか」。人はつまづかせるよりも、慰めを語ることで人を平安に導くのです。
イエス様は「しかし、彼らをつまずかせないようにしよう」と言われました。神殿税のことで、うまく立ち回られたのではありません。むしろ、配慮されたのではないでしょうか。それは集めるものたちだけでなく、何も考えずに「納めます」といったペトロにも。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>