ルカ 7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
人に紹介を頼まれること、また紹介してほしいと頼むことがあります。どちらも難しい立場になります。そこには「責任」というものが出てくるからです。勝手に紹介して相手に迷惑をかけることもあり、紹介してくださった方に迷惑をかけることもあります。本当に「ふさわしい」人ならばそれができます。断れなくてというのが一番やっかいです。
イエス様のもとに、ユダヤ人の長老たちがやってきて願っています。これはとても珍しいことです。しかも、異邦人として避けていた百人隊長のためにやってきたのです。この百人隊長がユダヤ人を愛して、自ら会堂を建てるなど、ユダヤ人のために働いていたからです。この行いに心を打たれている長老たちが、願いをきくにふさわしいと推薦しにきたのです。しかも熱心に願ったとあります。
ある牧師さんが、自分の子どもの高校受験のため推薦書を書いたそうです。かなり書きにくかったようです。牧師という立場と、親という立場と2つが同時にあるからです。自分の子をどのように推薦するか。推薦できるように育ててきたかなど、結局は自分のことへと問題が波及していったというのです。あげくには「推薦書を書いたつもりでも、落ち着いて読んでみたら嘆願書になっていた」と。笑ってしまいましたが、推薦と嘆願の違いを少し考えさせられました。自分はどこに立っているかが違うのです。外にいるか内にいるかです。
百人隊長は、イエス様に会うのにユダヤ人の長老たちの推薦を求めたのです。しかし、百人隊長の行いを知っている長老たちは推薦でなく、むしろ嘆願しています。聖書には「あの方は・・・ふさわしい」と推薦している言葉がでてきますが、その前に長老たちは「熱心に願った」とあります。そこで、イエス様は一緒に出かけられました。長老たちが推薦しながら嘆願している百人隊長のなかに、イエス様は信仰を見ることになりました。
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