ヨハネ 6:35 わたしが命のパンである。
私の焼いたパンを食べた方から質問されることがあります。「ケーキは作らないのですか」と。実は性格上、ケーキは自分では向いてないかなと思います。パンは基本的に粉と水とイーストがあればできます。また分量もアレンジして作ることができます。しかしケーキはきっちりと分量を量り、材料をきちんと揃えなければと思ってしまうのです。パンは独創的になれますが、ケーキは理論的でなければと思うと、やっぱりパンを焼く方が向いているというのが結論です、
イエス様の有名な言葉です。群衆はカファルナウムからイエス様のもとに押し寄せてきます。しかし、イエス様を神の子と信じたからではありません。イエス様は「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言われました。5000人の給食のあとの出来事で、群衆は肉体の糧を求めているのに対し、イエス様が与えようとしておられるのは、永遠の命にいたる糧(命のパン)であると言われたのです。
「会議は論理的でなければならない」という言葉を聞きました。ある講演での話です。その講師は「最近の会議では『思いつき意見』が多すぎるというのです。思いついたままを言うと、それに対して思いつきの意見がでる。それに対してまた思いつきの反論をする。これでは子どもの言い合いになってしまう。議論は思いつきではなく、論理的にしなければというのです。その論理的というのは、簡単にいえば次のようなことです。結論→理由→根拠で述べることです。言い方では「・・です」「というのは・・」「たとえば・・」の順で話すのです。まず結論をのべることで、会議が変わると教えられました。
イエス様の言葉もその通りです。まず結論として「わたしが命のパンである」と言われています。そのことをまず受け取り、その次にではなぜそうなるのかを聞いていくのです。イエス様の教えが心に強く残るのは結論がはっきりしているからです。
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