マタイ 8:15 イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。
小さい頃、お腹が痛くなったときには、よくお腹をさすってもらった記憶があります。薬を飲むでもなく、病院にいくでもなく。母親になぜてもらったら痛みがなくなっていたなと思います。病気の治療を手当てというくらいですから、お腹をなぜられるのも病気治療のひとつだったのでしょう。自分の体に親の手が触れる時、ただ触られるというのでなく何かそこで働くものがあります。それを心を開いて受け入れていたのではないかと思います。
聖書には、イエス様による病気の癒しがたくさんでてきます。その中でも「手」を使う話が多くあります。イエス様は自分からその人に近寄って「手を触れたり」「手を取られたり」の行為をされます。言葉だけでも癒しの業はおできになるのですが、特に手を使われるのはどうしてでしょうか。
夏には研修会、講習会、キャンプなど多くの行事があります。最近ではどの会も始まりに「アイスブレイク」があります。見知らぬ者どうしの出会いの緊張をほぐす演出法といわれています。基本は心をほぐし、つなげることです。私なども講演の種類によってはこのアイスブレイクを用います。とくに子どもたちにみ言葉を伝えるというテーマの講演では、はじめに打ち解けて下さった方が話がしやすいのです。いつもやるのは、両手をつないでの自己紹介です。与えられたテーマが、「子どもに伝える聖書のはなし」ですから、伝える方法や伝え方を利用したアイスブレイクを考えたのです。自己紹介でも面と向かってするのと、手をつないでするのとでは伝わり方が全然違うからです。
イエス様の癒しの業に「手」がよく登場します。イエス様みずから近寄っておられ、手で触れられるのです。言葉だけでも癒しの業はできるのですが、手を触れておられることに注目してみました。手で触れるということは、相手を受け入れ、相手に愛を伝える最もシンプルで、確実な方法でした。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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