357.朝礼拝131218「分に応じて」
エフェソ 4:16 おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
料理研究家がテレビで「レシピ通りに料理を作ると美味しい。でもそれでお店ができるかというとそうではない」という話をしていました。料理にも個性というものがあり、その個性をどこで出すかだそうです。いわゆるひと工夫が大切だというのです。レシピをみてつくるのでさえ大変なのにあと一工夫といわれてもですね。しかし、お店をだすわけではないからこれでいいのでしょう。
教会は「キリストの体」であるといいます。体にはいろんな部分があるように、私たちも教会の中で様々な働き、部分へと召されています。パウロは、体を構成する「おのおのの部分」である私が、頭であるキリストからの命と力を得て、分に応じて働くことの大切さを語っています。みなが同じように横並びでなく、分に応じて賜物を生かして成長するというのです。
ドイツ交換牧師であった先生から聞いた話です。彼の息子は、日本に帰国してもドイツでやっていたサッカーのクラブに入ったそうです。その先生は、ドイツと日本の両方のクラブをみて、コーチの教え方の違い、教育の違い、考え方の違いをみたそうです。日本ではコーチが付きっきりで、小学生からフォーメーションの練習や、シュートの打ち方を指導している。ドイツではコーチは何も教えないというのです。ただボールを子どもたちの集団に与えて試合をさせる。当然なにも教えられないので烏合の衆になる。あちこちと走り回るだけで、これが練習かと思ったそうです。ところがしばらくすると、その中から考えてプレーする子どもが現れるのだそうです。その子は自分でフォーメーションを考えるようになり、どこにいれば効果的なプレーができるか学び得点王になるそうです。そしていつのまにかチームから消える。上級のチームにスカウトされていくというのです。賜物を生かして成長させるというのでしょう。スカウトされなかった子どもたちも、また違う賜物が見いだされて行く仕組みになっているとか。
パウロは「おのおの部分は分に応じて」と言っています。みなが同じ並列に並ばされているわけではないというのです。その人にはその人の賜物があり、それを神様が成長させてください。私たちも自分たちの賜物を見つけ出し、その賜物を感謝して愛して受け取るとき本当の自分を造り上げて行くことができるのです。まずは自分に与えられた「いいところ」を見つけ出し、それを成長させてくださることを信じて歩みたいと願います。
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