フィリピ 2:4 めいめい自分のことばかりでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
教会には毎日のように電話がかかってきます。ところが最近、ある傾向に気が付きました。それは一方的に話す人が多くなったということです。会話にならないのです。自分の言いたい事だけを話して、電話を切ってしまうのです。なんだか不思議なかんじがします。まあ電話は用件を話すので会話するものではないのですが。しかし、その会話の中でお互いに理解しあってはじめて用件が達成できるのではと思います。なんだかへんな感じがしてなりません。
パウロはまず2章のはじめに「へりくだる心」を持つことを薦めています。そのことはキリストの十字架の出来事として確認できるというのです。すべてはキリストがどうされたかを考えることです。めいめい自分のことばかりではなくということは、まず相手を認識することから始まります。相手をどのような立場におくか、それ次第で関係は変わってくるように思います。
ある本でよみました。バスに一人のお年寄りが荷物をたくさん持って乗ってこられました。あいにく席はいっぱいで、座るところがありませ。しかし、誰もこのお年寄りに席を譲ってくれません。よくある光景です。ところがたった一人このお年寄りに席を譲ってくれた人がいたのです。その方はバスの運転手さんだったのです。「席がなくてお困りでしょう。私が立ちますからどうぞお掛けください」と言って運転席を立たれたのでした。そして乗っている人達に、「私が立てばいつまでもバスは動きませんよ」と言われたのです。すぐにたくさんの席があきました。
パウロは「他人のことにも注意を払いなさい」と言います。そして見本はイエス・キリストだと言っています。いつもイエス様だったらどうされるか考えてみようということです。バスの出来事でも、イエス様は「いつでも私が代わりに立つ」と言われるでしょう。
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