2コリント 11:26 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い
アントニー・デ・メロさんの黙想説教集を読みました。その第一編の終わりに一つのたとえ話がありました。それは次のようなものです。
「観光客の一団を乗せたバスが、目の覚めるような美しい田園地帯を走っている。湖、山、草原、川が次々と姿を現す。しかし、窓の日除けはおろされている。乗客たちは、バスの窓の向こうに何があるのか知ろうとしない。旅行中ずっと、誰が上席につくか、誰が拍手喝采を受けるか、だれがよく思われるか言い争ってゆく。旅が終わるまでずっと」。これはどんなたとえ話でしょうか。ある人にとっては人生のたとえ。ある人にとっては、いま忘れかけている信仰のたとえかもしれません。
パウロの宣教活動は旅と共にありました。その旅は過酷であったようです。はるばる歩いて旅をするのですが、かなりの困難にであっています。自然災害だけでなく、人からの難も多かったと記しています。しかし、その旅はイエス様から派遣されての旅で、主が共に歩かれる旅でした。苦難を乗り越えてなお伝えるべき福音がありました。
ある雑誌が「恋人との旅行中にケンカした経験はありますか?」と読者40人に調査をしたところ、90%の男女が「経験アリ」と回答したという記事がありました。この理由を、恋愛心理カウンセラーと言う方が解説していました。「普段のデートは『○○へ行く』という確固とした楽しみがあるのに対して、旅行は『計画中・旅行中・行き帰り』すべての時間で楽しめるかがポイントになります。そのため、ワンシーン毎にどちらか一方の自分勝手な振る舞いや任せっきりの態度など、普段のデートで許せても旅行という時間と労力のかかるデートだからこそ、腹が立ってしまうのです」(恋愛心理カウンセラー・根本裕幸さん)とのことでした。つまり旅行中は相手の嫌な所ばっかりみてしまうからというのです。
パウロは旅の中で様々な苦難にあっています。しかし、これらの中に誇ることがあれば弱さを誇ろうといいます。嫌なことばかりをみるのでなく、それが神様から与えられた苦難として引き受けるといいます。その背後にはイエス様が共におられ、力づけておられることを知っているからです。イエス様と共に旅行するとき、自分を見つめ直すことで悔い改め、新しい命に生かされる旅を歩むことができます。
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