マタイ 20:22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」 ある保険会社が主婦3800人に対して、アンケ-ト調査をしました。それによると、夫婦の一日の平均会話時間は1時間45分。夫婦喧嘩は月一回32%、週一回12%だといいます。ほかには、「夫に『愛している』といわれていますか?」という質問にたいして、「ここ数年いわれたことがない」47%、「一度もない」26%だそうです。毎日「愛している」といわれても困ってしまいますが、なるほど会話不足というより対話不足という感じがします。何を考えているかわからないという状況も見えてきます。
イエス様のもとに、ヤコブとヨハネがお母さんと一緒にやってきて、ある願い事をしました。簡単にいえば、「天の国で2人の息子を特別な位置につけて下さい」ということでした。神様の国で偉くなりたいという心が弟子たちの中にありました。ところがイエス様は、弟子たちが何を願っているかが自分でわかっていないと指摘されました。十字架の主であるイエス様にとって、偉くなるということは仕えるということだからです。
大学の先生から「会話が成り立たない学生たち」という話を聞きました。正確にいえば「どのように返事をしていいかわからない」ということでした。たとえば、ある学生が先生に、本の紹介してほしいと頼んできたそうです。そこで2冊ほど用意して持って行ったところ、学生から「先生大丈夫です」「お気遣いなく」と言われたというのです。先生はその学生に何と答えてよいかわからないといわれるのです。人に物を頼んでおいて「お気遣いなく」の言葉はありえないし、また先生に対する言葉ではないと思います。自分が何を話しているかがわかってなければ、会話が成り立たないのです。
イエス様は偉くなりたいという弟子たちに「自分が何を願っているか、分かっていない」と言われました。願っていることがわからないから、答えが与えられないのです。神様に対しても、何を願っているかわからければ、み言葉の答えが答えとして与えられません。神様との会話を成立させようとしても成り立ちません。まず自分が何を願っているかを知ることから始めましょう。
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