ブラウンチャペル横の桜が、花びらを「はらはら」と落しています。私はこの瞬間が一番好きです。なんとも言えない桜の美しさを感じるのです。同じ季節に、桜十字病院の中庭にある桜の花びらと共に、私たちの敬愛する渕田東洋先生もまた天に召されました。92歳でした。先生の場合は、桜の花びらが落ちるのではなく、空へ舞いあがっていったようでした。
大連市満鉄病院にて、1922年(大正11年)に誕生されました。1941年3月に受洗。その年のイースターは4月13日ですから受難節に洗礼を受けられたことになります。北京日本人キリスト教会が母教会です。先生が19歳の時でした。この信仰歴を見るだけでも先生のキリスト者としての揺るがない信仰を覚えます。戦争中、中国で、戦争末期の情勢が一番厳しい時に若き渕田先生はキリストのみに立たれたのです。それは日本へ帰国なさってからも揺るがない信仰へと引き継がれていきました。川瀬先生との出会いもあり、九州学院に物理の先生として奉職。45年間を中高生の教育のために力を注がれました。その間高校主事、ラグビー部、寄宿舎舎監、写真部長など歴任しておられます。卒業生からの信頼もあつく、S7回の卒業生は「七星会」として卒業後も先生を慕って活動をされ共に旅行をされたりしました。本当に生徒をはじめ教職員の皆さんから愛された先生でした。
物静かで、真面目で、穏やかな先生でした。「真摯」という言葉は先生のためにあるのかもしれません。キリスト者として神様に出会う大切さをいつも訴えておられました。「若い人の中には超自然現象とか新興宗教に興味を持つ人が多いのに、どうして本当の意味の宗教に関心をもたないのでしょうか」。これは70周年誌に書かれた先生の言葉です。「何とかして若い人々が、唯一の神である主の教えに従う道に進んでもらえないか」渕田先生は今も祈っておられます。ご遺族の上に主の慰めを祈ります。
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