マタイ 8:13 百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
鏡を眺めながら考えてしまいました。鏡には左右が逆に映るのに、なぜ上下は逆に映らないのだろうかと。毎朝鏡をみていてふと考えたのです。気になると考える質なので、「ああでもない、こうでもない」と思いめぐらせてみました。そして結論がやっとでました。これは発想の転換の問題だと。鏡は『左右が逆なのでなく、前後が逆に映る』のです。ですから上下はそのまま映ることになる。間違いだったら教えてください。さて私たちの信仰生活においても、発想の転換が必要な時があります。信じるというのが信仰の基本と思われますが、信じさせてくださることを受け取ることが信仰の基本です。なぜなら、私たちの意志にかかわらず、神様は恵みを与えてくださるのです。それを感謝して受け取ることに信仰の基本があるわけです。
イエス様は、異邦人である百人隊長の僕の病を癒されました。この話には病にかかった百人隊長の僕本人は登場しません。百人隊長みずからイエス様の所にきました。しかも異邦人としての自分の立場も知ったうえでお願いしています。百人隊長は僕の病を癒してほしい「一心」でイエス様に懇願したのです。イエス様はその百人隊長に「あなたの信じたとおりになるように」と言われました。この一心に懇願した姿に彼の信仰をみられたのです。
脳科学者の茂木健一郎氏が著書の中で「充実した人生をおくるためには、意欲というものがとても大切だ」と書いています。この意欲は脳がつくっているというのです。これまで脳は人間の精神的な部分にはあまり関与しないと考えられてきました。しかし、そうではなさそうです。心の持ちようというものは、すべて脳の中のメカニズムに支えられていると言っています。どれくらい意欲的に生きているか自分で5段階評価をつけさせてみて、3.4と適当に答えたとします。するとその「適当」に、脳が対応するという結果がでるそうです。心の持ち方も脳の働きに裏付けされているそうです。
イエス様は「あなたが信じたとおりになるように」と言われました。まずはイエス様のみ言葉を信じることです。そのみ言葉にすべてを委ねることだと思います。そのためにはイエス様が誰であるかを理解することが求められます。その理解のためにもみ言葉を聞くしかないのです。脳の活性化のためには、聖書を読むことが一番有意義だといえます。
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