ルカ 19:41 エルサレムが近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。
イエス様は、エルサレムのために嘆き、泣かれたと聖書は記しています。メシアであるイエス様の到来について人々が無知であること、やがてエルサレムも崩壊することを嘆いておられるのです。イエス様の涙をみた弟子たちはどのように感じたでしょうか。イエス様の涙の思いは何でしょうか。
明日は長崎に原爆が投下された日です。昨年は被爆ピアノコンサートがありました。私にとっては不思議な感覚のコンサートでした。被爆ピアノの演奏を、はじめて広島以外の場所で聞いたのです。熊本できくピアノは「平和」という響きが特に聞こえてきました。しかし、広島で被爆者の方々と聞いていた響きは平和だけでなく、痛み、苦しみ、嘆き、涙が深く共鳴していたように思いました。その中で長崎で被爆された実行委員の方の言葉に、これがヒロシマで聞いた響きだと思いました。
兄弟2人は即死、お母さまは13人目の兄弟をお腹にかかえて被爆、その衝撃でへその緒がついたまま黒焦げ状態であった。しかし1週間生き延びておられた。自分は手を差し出すことができなかった。水を飲ませることもできなかった。ガラスの破片を取り除いたら蛆がわいていた。涙を流すしかできなかった。この思いをピアノは語りかけていると思いました。
いま平和を語るとは、厳しい現実と向かい合うということです。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ。いっしょに涙するしかない自分がいます。しかし、となりでイエス様も涙を流されているのがわかるのです。
イエス様は、エルサレムのために泣いておられます。この涙の意味を弟子たちが知るのはあとになってのことです。いまは涙を流すしかない。しかし、その涙はいつか癒しへとつながっていくことを覚えていたいと思います。イエス様も泣いておられる。そのことが私に慰めを語ります。