1テモテ 4:14 あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。
ある本に「自分に何ができるかを問うのではなく、自分に何が貢献できるかを問いなさい」という言葉を見つけました。教会や組織の在り方を考えるとき、自分に与えられている賜物が何であるかを知る事は大切なことです。自分ができることばかりでは自己中心的になります。しかし、自分がこの組織に何が貢献できるかは、自分のためでなく他者のためにあるともいえます。神様が下さっている賜物は自分のためのものでなく、共に生きるものにとっての「賜物・カリスマ」なのです。
パウロはテモテに「恵みの賜物」について語ります。これはギリシャ語では「カリスマ」という言葉です。すでに日本語にもなっている言葉です。パウロはこの「カリスマ」は特定の人にのみ与えられるものではなく、すべての人に「神様の恵みの賜物」として与えられていると言います。この与えられている賜物を軽んじることのないようにと勧めるのです。ですから「~のカリスマ」と呼ばれる人が多くてもかまいません。それらはみな、神様からの恵みの賜物だからです。
ある姉妹から聞いた、小学1年生のいとこの話です。あるとき、親戚がそろって話しをしていました。「いまここに100万円あったらどうする?」と。みなそれぞれに考えていたところ、1年生になった男の子が次のように言ったそうです。「僕の家族は5人かぞくだから、1人20万ずつわける」と。それを聞いてみんなビックリしました。まだだれも彼にわり算を教えたことがないからです。もちろん1年生では小学校でもわり算はまだ習いません。ではどうして彼はそれができたかということです。いろいろときいてみますと、まず100万を2つにしたら50万が2つになる。50万ということは5人家族だから1人10万ずつになる。これが2つあるのだから1人20万になったと答えたそうです。その発想の素晴らしさにとても驚いた。もしかすると天才かもしれないと。微笑ましくきいていました。そういえば、我が家の子どもたちも天才だったことがあったなあ~と。私たちに神様から与えられた賜物は簡単なものではありません。「自分はこれくらい」と考えると間違ってしまいます。小学1年生だとわからないだろう、という思いがあるからびっくりするだけです。本当は素晴らしい発想ができる力を神様からいただいているのです。
パウロはテモテに「恵みの賜物を軽んじることのないように」と勧めています。神様がそれぞれに与えてくださっている「賜物・カリスマ」は、神様が与えて下さっているものです。神様のものであるから軽んじてはなりません。自分は神様から与えられている賜物で何をこの世に貢献できるかを考えてみましょう。
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