マタイ 21:12 イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
教会暦は受難主日から受難週(聖週)にはいります。その最初の月曜日は「聖月曜日」と呼ばれています。この日は、イエス様による「宮清め」を覚える日です。 宮清めとは、エルサレム入城後2日目に、イエス様がエルサレムの神殿を商売の場所にしていた人々を追い払った出来事です。その姿は強烈で、ヨハネ福音書には「縄で鞭をつくり」とあります。まわりにいた人々の衝撃は大変なものでした。
なぜ、イエス様はこのような激しい憤りを示され、神殿を清められたのでしょうか。それは世俗化した神殿の現状をゆるせなかったのです。神殿とは神様がおられるところ。そこで捧げられる犠牲は何のためのものか。その神聖なる儀式をとりもどすためでした。イエス様は神殿を清めたあとにこのように言われます。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」
教会の椅子は礼拝が終ると乱れます。そのままにしてお茶を飲んでから並べればいいのですが、いつ誰がそこでお祈りされるかわかりません。神様にお祈りするとき椅子が乱れていたらどうでしょうか。初めて教会にきてそのとき椅子が乱れていたらどうでしょうか。そこに神聖さを感じるでしょうか。やっとそのことに気づきました。教会の椅子を並べることは、いつ誰が来られても神様と出会えるように配慮することだといえます。皆さんが日曜礼拝から帰られたあと、きちんと並んだ椅子に座り祈ります。静けさとともに、牧師だけが味わう喜びがあるのです。
今日から受難週がはじまりました。この週の目的は十字架の主を前にして、自分自身を振り返る時です。特に今日の聖月曜日は、神様のみ言葉の宮として立てられている私たちが、祈りの家として存在しているかを自分に問う日です。すべてを支えて下さるのは神様の祈りの家なのです。
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