ヨハネ 15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたにつながっている。
「これも支援物資なんださ」「洋服もぜんぶ支援物資だよ」「下着も全部支援物資なんだよね」と話してくれたおばちゃんがいます。そのあとに「助かるちゃねえ~みんな優しいから」と。おばちゃんの家は北上川の河川敷にあり、家は土台からすべて流されたそうです。何もかも全部流されて、残ったものは自分が来ていた服だけだと言われました。すべてなくなったけれど、パンツまで支援してもらって本当にありがたい。みんなの親切に涙が出ると言いながら、目頭を抑えておられました。はじめは小さな出会いからはじまったつながりが、どんどん次につながっていきます。神様から頂いた出会いはさらに広がっていくのだと思います。
イエス様は十字架にかかる前の緊迫した状況の中、弟子たちにぶどうの木のたとえをお話になりました。このたとえでは、木はイエス様であり、枝は弟子たちです。ぶどうの木に枝が結びつくように、イエス様と弟子たちの交わりも強く結びついていることを示されました。
ある会合の席で「ことわざ」の現代的な解釈ことが話題になりました。そのことわざとは、「エビでタイを釣る」というものです。その解釈はだいたい3つでした。
1、安い餌で高価な魚である鯛を得る。まるもうけということ。
2、鯛にとってはエビはご馳走。きちんとした「おもてなし」をすること によって大きな利得を得るということ。
3、魚釣りの餌を考えると、エビは高価な餌。大きな利得を得るには、そ れなにり大きな投資が必要。それができるかどうか。
本当の意味は・・・と、ことわざ辞典を調べてみてもありませんでした。しかし、どれももっともだなと思います。現代社会の状況によっては、エビをどうみるかです。この「エビでタイを釣る」のエビとタイをいろいろと入れ替えてみました。エビを信仰、タイを神様の救いと考えたらどうなるか。エビが十字架だったらどうでしょうか。なかなか意味が深いなあなどと思います。私たちは一つの出来事を、それだけで考えてしまいます。しかし、必ずそれはつながっているのです。ひとつの出来事が次の出来事へと発展していくのです。しかし、信仰の世界は、「信じる」という出来事から神様の出来事へとつながっていくのです。信じることからはじめる。それは復活を受け入れることへともつながり、それが私たちの救いへとつながり、そして神様へとつながっていくのです。
イエス様は「わたしにつながっていなさい」と言われました。私たちが実を結ぶ方法はひとつしかありません。それはイエス様につながっていることです。このつながりがまた、私が出会った人とつながります。するとその人はイエス様につながっていることになります。私たちがつねにイエス様につながっているということは、出会うすべての人をイエス様につなげることでもあります。
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