1コリント 9:22 すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
パウロの言葉で大好きなものがあります。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」というものです。この「どんなこと」の中に、どれだけ多くのことを入れることができるか、それが私たちの信仰の問題です。しかし、「福音に共にあずかる」という言葉にやる気を与えられます。その福音のために、自分はどんな風にでもなれるという奇跡が生まれます。
パウロは「すべての人に対してすべてのものになりました」と言っています。それは「何とかして何人かでも救うためです」というのです。神様から招かれている人々を、ひとりでも多くイエス様のもとに導きたいというのです。そのためにはパウロの方から近づいていくのです。すべてはひとりでも多く救われるためなのです。これもパウロが救われた確信によって、すべて人に対して自由だからです。また救われた確信は重荷や苦しみから自由でもあるのです。この自由があるからなんでもできるのです。
パウロは「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」と言います。私たちの信仰生活は、教会という交わりの中にあります。その教会の交わりの中で適応しているだろうか。それだけでなく、教会から外へむかって宣教するとき、外の世界と適応しているだろうか。これからは「適応力」のある教会が生き残って、宣教していくのでしょう。その中で自分という信仰者はどうでしょうか。また大江教会は何に適応していくのでしょうか。神様から与えられた福音の適応力を考えて今日を過ごしてまいります。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>