ルカ 18:7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きをおこなわずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか
スーパーのお菓子売り場で泣き叫んでいる子どもに出会いました。「買って,買って」とずっと泣き叫んでいました。お母さんはどうするだろうと思ってみていました。はじめは説得しておられました。そのご怒ってどっかに行こうとされ、それでも泣きやまないので、結局は買ってあげていました。ふと今日の聖書の箇所を思い出しました。
イエス様は「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えるために、一つのたとえを話されました。そのたとえは「やもめと裁判官」のたとえです。神を畏れず、人を人とも思わない裁判官も無力なやもめが執拗に求め続けると、取り合おうとしなかった裁判官の心を動かすというものです。そこから「絶えず祈りなさい」という教えをのべられました。
ある神父の『断想』に、「同じ時間に同じ場所で毎日祈ることは大変難しい修行の一つである」と書いておられました。まして、祈り続けるなんてとても大変なことです。呼吸するように祈る。私たちはこれを、心を静めて祈ると理解しますが、実は、呼吸しながら祈るのだそうです。呼吸と合せていつでも祈っていることです。そんなことができるだろうか。毎日きまった時間に祈ることさえ難しいのに、とぎれなく祈り続けるとは。しかし、そこに大きな慰めと平安が満ちていることもわかります。もうひとつ。自分の言いやすい言葉で常に祈る。たとえば「主よ、あわれんでください」「キリストよ、おまもりください」「イエスよ」でもなんでもいい。これを歩きながら唱える。こうなると念仏みたいですが、それでも祈り続けることになります。どちらにせよ祈りつづけることは大変な修行です。
イエス様は「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きをおこなわずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」と教えられました。祈りも同じだと言えます。
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