マルコ 12:40 見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。
人の話をお聞きする時に一番困るのは」「何が言いたいのかわからない」です。きっと言いたいことはあるのでしょうが、そこに行きつくまでにいろいろと話し過ぎてしまう人がいます。きっとこれが言いたいのだろうと思いますが、なかなかそこに行きつきません。そうこうしているうちにこちらが疲れてしまって、話の内容が頭にはいらなくなります。「お願いだから、本当にいたい事だけ言ってください」とお願いしたいくらいです。
エルサレムに入城されたイエス様は、神殿の境内で律法学者やサドカイ派の人々と問答を繰り返されます。問答といっても「教え」に近いものです。どの問答も、かみ合わず教えも受け 入れもされませんでした。イエス様の教えは、律法学者への激しい批判でおわります。群衆には「律法学者に気をつけなさい」としていくつかをあげ、その中に「見せかけの長い祈りをする」ことに気をつけよと言われたのです。
ある会社員が、上司から商品の販売企画書の提出を求められたときの話をしてくれました。彼は充実した企画書をつくろうと、細かいデータを集め、説明文書をたくさん作る事に時間をかけていました。それで期日までに企画書の提出ができなかったそうです。上司に「あと2,3日時間をください」とお願いしたところ「仕事の締め切り時間は絶対。できているところで持ってこい」と怒鳴られたそうです。結局、全体の流れのポイントだけ書き、ラフな状態の文章で提出したそうです。すると「いい企画で、提案内容、ポイントがわかった。これで十分」とほめられたそうです。説明文も長ければいいというものではありません。「何が言いたいか。何がポイントか」ということです。
イエス様は、律法学者への批判に「見せかけの長い祈り」をあげておられます。祈りは人に聞いてもらうためでも、長く祈ればきかれるというものではありません。神様に祈るときも、「何が祈りたいか」「ポイントは何か」をつねに考えて簡潔に祈ることが必要だと思います。相手にわかってもらうために「くどくど話す」のは逆効果だということは会議でもわかっていることですが。
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