ゼファニヤ 2:3 主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきたこの地のすべての人々よ、恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に、あるいは、身を守られるであろう。
予想もしない出来事が起きると人はパニック状態になります。このパニックというのを何度か経験したことがあります。特に東日本大震災のときでした。被災地でもそうだったと思いますが、とくに東京でのパニック状態は深刻でした。たった一つのニュースで、人間が何十万人もアタフタと自分のあるべき姿を忘れてしまったようでした。冷静に考えれば出来ることが、なにをやっているのかわからない。これがパニックなのでしょう。そんな時にどうするか、一呼吸おいて祈ればいいと思います。
ゼファニヤは、主の日について語ります。主の日とは、「主の審判の日」「主の判決が下される日」「主の怒りが燃える日」です。ゼファニヤは、ユダも人々は主の戒めをまもり苦しみに耐えてきました。その人々に主の日が来る前に、3つの「求めよ」を告げています。「主を求めよ」「恵みの業を求めよ」「苦しみに耐えることを求めよ」と語りかけています。神様はかならず憐れんでくださることが前提なのです。
九州学院に浄土真宗のお坊さんを招いて聖書の授業をしました。みんながよく知っている「アンパンマンの歌」を歌いながらの授業でした。「何のためにうまれて、何をしていきる?」さあ、話し合って書いてみましょう。「何が君の幸せ、何をして喜ぶ?」さあ話しあって書いてみましょうと。生徒たちは真剣に話し合って書いていました。その中から「人の幸せを求める事が幸せであり喜びです」と答えた生徒がいました。なるほど「何を求める」か。それは自分のことを求めるのでなく、人の幸せを求める時に喜びがあることの真実を学びました。
ゼファニヤは「主に求めよ」「恵みの業を求めよ」「苦しみに耐えることを求めよ」と告げています。かならず神様が憐れみ、導いて下さるからです。祈ることによって冷静になり、主を求めることで道を見いだしていきたいと願っています。震災支援活動は、すぐにできること、長くできること、求められている物は何かを祈り求めることです。すべては神様が導いてくださると信じているからです。
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