マタイ 6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
アニメ作家である、宮崎駿さんの言葉に次のようなものがあります。「大人の映画は絶望をいくら描いてもいい。しかし子供には、あなたは生れてきてよかったんだと言ってやらなきゃいけない。この世のなか、汚いものはいっぱいあるけれど、生きるに値しない世界ではないんだ、と」。だから、必死で肯定できるものを探すのだそうです。あれもいけない。これもいけない。世のなかが暗くなればなるほど、暖かい話を聞きたくなるのはどうしてでしょう。なんとかして、この世を肯定して生きていきたいからです。「隠れたところでは、こんないい話がある」ということで安心したいのです。
イエス様は、施しについて語っています。社会的弱者に関しては旧約聖書でもユダヤ教でも積極的に薦められています。しかしそこに人からの称賛を得ると言う動機が入ると「偽善」になると教えます。施しの行為は人に見せるためでなく、自然に行わるときに神様が見ておられ愛の行為となると教えるのです。
「回転すしを人が美味しいと思う理由」というコラムを読みました。雰囲気なのか、新鮮な食材なのか。それとも接客サービスか。そのいずれも「美味しいと思う理由の一つ」だが決定的な理由は他にあるというのです。それは「醤油」です。実は回転すし屋の多くは醤油に生醤油をつかっていないそうです。ダシや旨味成分を必ずいれて調整しているのです。人は醤油を食べて美味しいと思っているというのです。本当かなと思いましたが、確かに普通の生醤油でないことは確かでした。隠れたとこにある業というか、よく考えてあるなと思います。私たちはこの隠れたサービスを受けていることが多いかもしれません。とくに流行っている店などに行くと隠れたサービスに出会うことが多いものです。
神様はすべてのことを見ていてくださいます。どんなに人目につかない奉仕の業も見過ごされることはありません。またその人目につかない奉仕を喜んでくださいます。私たちも見える奉仕ではなく、見えなくてもできる奉仕を考えていきたいとおもいます。それは行いだけでなく、言葉による奉仕も同じです。言葉に隠された優しさや思いやりを神様は見ていてくださることを考えて今日も過ごしてまいりましょう。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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