1テモテ 1:7 彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています。
子どもの頃、キャンプなどで伝言ゲームをしました。このゲームの面白さは、正確に伝わらないと言うことにあります。いつもなんで伝わらないのかも不思議でした。まったく違う話になると、いったい人は何を聞いているのかと思ってしまいます。しかし、このゲームも一番先に伝えるとなるとかなり緊張しました。きちんと文章を覚えなければならないからです。その文章の覚え方にいつも苦しんでいたのが良い思い出です。
パウロは「ある人々」の異なる教えと対決するために、若きテモテをエフェソに残しています。また「作り話や切のない系図に心を奪われた入りしないように」と勧告をしています。これは、ユダヤ教的な考えや教えをもとにした異端(グノーシス)との戦いがあるようです。パウロはテモテに対して、彼らの主張が伝わらないのは、福音を理解していないことによると教えています。
「伝道」とは楽しいものです。どうやってイエス様のみ言葉を伝えるか。仲間を増やしていくか。それを考えることがキリスト者を生き生きさせるからです。ある時、全国の教会にアンケートをだしました。「あなたの教会にとって必要で、宣教センターに作成して欲しいものは何か」。あなたなら何と答えますか。いろいろありましたが、一番多かったのは「フォローアップのためのグッズ、マニュアル」でした。教会に来ていただくためのプログラムはいろいろなものがあり、すでに行われています。ところがせっかく来てくださってもそのあとのフォローアップが何もないという現状だったのです。私たちの教会も同じです。何が福音であるかを理解し、それをどうやって伝えてフォローしていくかでしょうか。
パウロはテモテに「律法の教師でありたいと思っている」ことについて注意をのべています。律法の教師になるには、律法を理解していなければなりません。律法を理解するとは、律法が与えられた真の意味を理解せねばなりません。一番大切なことは福音を理解し、そこから律法を学び直すということだと思います。何のために律法があるのかを理解できるものが教師としてふさわしい人物なのです。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
最近のコメント