マタイ 6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
事務局長時代に、出勤は一番先にと決め4年間実行しました。職員の誰よりも早く出勤し、窓を開けて空気を入れ替える。職員全員が来る前に祈る。これが事務局長として必ずやってきたことです。しかし、私よりも早く出勤する方がいます。掃除のおばちゃんです。時間通りにくれば私の方が早いのですが、おばちゃんは35年以上にわたって誰よりも早くセンターに出勤し、掃除をしてくれています。朝起きて最初に使用する人が、気持ちよく過ごせるためだそうです。誰の目にも見えないこの行為に、いつも感謝と尊敬をしていました。
イエス様は、施しについて語っています。施しは、社会的弱者に関して旧約聖書でもユダヤ教でも積極的に薦められています。しかしそこに人からの称賛を得ると言う動機が入ると「偽善」になると教えます。施しの行為は人に見せるためでなく、自然に行われるときに神様が見ておられ、愛の行為となると教えるのです。
卒業式の前日、次女の机をみますと「明日朝5時に起きる!絶対!」というメモを見つけました。卒業式の日に、なぜ朝5時起きなのか聞いてみました。すると、小学校の周りを毎朝5時に掃除をしてくださる、一人のおばあちゃんに御礼をいうのだそうです。そして、いっしょに掃除をするのだというのです。昨年のことでした。身近なボランティアという学びで、この方の存在を知ったのです。夏休みに何回か一緒に朝早く掃除にも出かけました。毎日毎日、学校の周りを朝早く掃除をしてくださるおばあちゃんがいる。そのおばあちゃんがいるから、みんな学校に行くときに気持ちよくいけることを知ったのです。その方に卒業式の日にお友達数人で会いに行って御礼がいいたかったのでしょう。その一人のおばあちゃんのお掃除にも、それをわかっていた子供たちにも。愛ある行為は必ず伝えられていくのだと思います。見える奉仕もあれば、まったく見えない奉仕もあります。私たちは一人で生きているのではなく、このような多くの奉仕によって生かされているのです。
イエス様は「あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」と教えられました。神様はすべてのことを見ていてくださいます。どんなに人目につかない奉仕の業も見過ごされることはありません。また人目につかない奉仕を喜んでくださいます。私たちも見える奉仕ではなく、見えなくてもできる奉仕を考えていきたいものです。それは行いだけでなく、言葉による奉仕も同じです。言葉に隠された優しさや思いやりを神様は見ていてくださることを考えて今日も過ごしてまいりましょう。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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