ヤコブ 5:7 兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
ある教育関係の書物に、竹のたとえが書いてありました。「竹は、土地が耕されたあとに植え付けられる。最初の四年間は土の中だけで生長する。外からは、小さな株と竹の先っぽしか見えない。しかし、五年目に入ると、いきなり25メートルの高さに生長する」。竹を植えた者は、すぐに結果が得られなくても、忍耐して長い時間の世話をする。忍耐しながら世話をする価値を知っているというのです。なぜなら、やがて必ず収穫が得られることを信じているからです。
ヤコブの手紙は、全体のまとめとして「忍耐と祈り」をあげています。教会の内外に起こる出来事に対して、主を信じて忍耐すること、祈ることを教えています。忍耐することは大変なことです。しかし、イエス様が必ず来られるという信仰のもとに、今の状況を受け止め、絶えず祈ることによって乗り越えていくようにと励ましています。必ず来て下さるという信仰が大切です。
ある時の牧師退修会のテ-マは、「総合宣教方策」でした。簡単にいえば伝道の不振をどう建て直しするかということです。しかし具体的なことは何一つ出てきませんでした。そのような中で、ある引退が近い先生の言葉には迫力がありました。その先生が言われるには、「引退するころになって伝道についてわかったことがある。伝道に必要なことは次の三つだと確信している。それは『創意工夫』『忍耐』『努力』である」。目標を決め、それについて創意工夫し、そのためには忍耐しつつ努力する。ある意味では簡単そうにみえますが、余程意志が強くなければ続かないことです。私たちの教会も礼拝堂の席がまず70席うまるように、『創意工夫・忍耐・努力』していきたいと思います。
ヤコブは「主が来られるときまで忍耐しなさい」と教えています。農夫が収穫を信じて待つように、忍耐しなさいと言うのです。この待っている間に何をして待てばいいでしょうか。農夫は土地を耕し、種を蒔き、水を与え、雑草をとります。大地の実りを信じているからです。私たちも、イエス様が来られる救いの日を覚えて、今日やるべきことをやることが必要です。