先週のエッセイの最後は「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」で締めくくりました。その言葉を3日午前1時に故・松本教義牧師に宣言させていただきました。主の復活を望む私たちに、十字架の上で主イエスから与えられたこのみ言葉の大きさに改めて感謝をしました。松本教義牧師は今日すでに楽園におられます。
松本教義牧師は2019年5月3日午前1時、合志にあるケアーホーム大地の里「笑顔」にて召天されました。静かに穏やかに眠るように旅立たれました。診断書には「老衰」とありました。25年にわたる闘病生活、それを支えてこられた千鶴子姉の献身に感動を覚えます。お二人に「ご苦労様でした」という思いが全てです。しかし、お二人にとっては、主に結ばれたご夫婦として「あたりまえ」を生きてこられたのかも知れません。どんな状況であっても「あたりまえ」に生きていけることが信仰の証だったと思います。牧師として、園長として、家族の中であたりまえにみ言葉に生かされた人生でした。
今回の葬儀で棺が置かれている方角が違うのをご存知でしょうか。慣習としてですが牧師葬儀の時は頭が聖卓側に置かれています。信徒の場合は会衆の方に頭があります。これは復活の時、直ぐにみ言葉を語りだすようにと言う事のようです。信徒の場合は復活してまず十字架の主と出会うためと言われています。あくまでも慣習としてですが、素晴らしいことだと思います。牧師はみ言葉に支えられ、み言葉に立ち、み言葉に生きて、そしてみ言葉を語る使命を与えられます。そのために召されています。いついかなる時もみ言葉と共にあるのです。
私たちは松本教義牧師の人生からみ言葉をあたりまえに生きることを学びました。すでに復活の命に生き、み言葉を語っておられることでしょう。音楽と共に。