ヨハネ 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
イエス様はヨハネ福音書の中で「ぶどうの木」のたとえで「つながり」を教えられました。その中で父なる神様と私たちの関係も教えてくださいました。イエス様をしっかり見ることで、そこに父なる神様の「愛」をみることができるというのです。
松原泰道さんの本に「弁当」の話がありました。日本全体が戦後で食べ物に困っていた頃のことです。ある中学生の男子が自分の弁当と間違えて、父が山仕事に持って行く弁当を持ってきてしまいました。彼は昼にその弁当を食べるのが楽しみでした。家が貧しくご飯が少ない弁当を我慢していたのです。父の弁当は山仕事だから弁当にもぎっしりご飯がはいっているに違いないと思ったのです。しかし、自分より少ない量でびっくりしました。おかずも梅干しと生味噌だけでした。夜のこと仕事から帰った父は「お前弁当間違えただろう。おなかが減ったのじゃないか」といって、夕食の茶碗からご飯の半分をくれたのです。彼はその夜、眠れませんでした。自分より大きな存在と、その愛にであったからでした。
父なる神様が、み子キリストを愛されたように、私たちはキリストから愛されています。その愛は十字架にあらわされています。私たちの罪のために死んでくださったのです。こんな大きな愛を、キリストをとおして神様からいただいていることに涙が流れます。
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