ローマ書 10:14 キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。
パウロは、キリストを律法の目標といいます。キリストの出来事が、信仰による義をもたらすための律法の目標、完成、終わりとなったといいます。ちょっと難しいですが、律法を守ることが目標なのでなく、信仰による義を受けとることが、キリストの出来事であるということでしょう。
ある脳科学者の本で「巨人軍にFAで入った一流選手は、なぜ活躍できないか」を説明していました。そういえば、それまでの実力を出せずに退団、引退、また別の球団に移っていく選手が多いように思えます。その本では、それらの選手たちは「巨人軍に入ることが目標であったため、それが達成されたのちは意欲が低下した」と解説してありました。異論はあると思いますが、目標をどこにおくか、何におくかは重要なことです。私たちは人生の目標は何かを考えねばなりません。
律法を守ることが目標となった場合、守ることだけに集中してしまいます。しかし本来は信じるものすべてに義をもたらすためのもので、守ることが目標であってはなりません。やはり、「神の国と、神の義」をまず求めることです。その目標には終わりがありません。