1テサロニケ 5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
パウロはイエス・キリストの死を、「わたしたちのために」と言っています。これは、私たちの罪のために死なれたということです。そのことの意味は「わたしたちが」「主と共に生きるようになるため」に十字架の死があるということへつながります。罪赦された私たちは、自分一人だけで生きるのでなく、「主と共に生きる」ことへと導かれているのです。
広島に「にしき堂」というお菓子メーカーがあります。有名な「もみじ饅頭」の会社です。この「もみじ饅頭」の製造機械を作り、広めたのは先代の社長さんだそうです。しかし、この機械ができたときに特許をとられませんでした。「広島の原爆で苦しんだのは自分たちだけでないから、みんなでつくって売って儲ければよい」と言われたそうです。それで多くの種類の「もみじ饅頭」があるのです。そんなことしてやっていけるか。実は「もみじ饅頭」の売上日本一は「にしき堂」なのです。きっとどこに志を置くかを神様はみておられるのだと思います。「共に生きる」という志の高さがその人を導いていくのでしょう。
パウロは、「主と共に生きる」ということの大切さを伝えています。私たちは「主と共に生きる」ことによって人生の意味を見出していくのです。パウロは続けて「ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」と言っています。