ルカ 16:17 律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。
イエス様は「富について」のたとえ話をされ律法を中心に「神と富とに仕えることはできない」と言われました。その話をきいて金に執着するファリサイ派の人々はあざ笑います。イエス様はそれに対して「人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ」と言われました。問題は、神様から与えられた律法をどのように受け取っているかです。律法は時代によって無効となることはありません。それは「正義と愛」の律法だからです。この中心を見つけ出すために表面だけで律法を受け取り、自分勝手に解釈すると間違います。本来の意味を徹底的に追及することが必要なのです。
アインシュタインの面白いエピソードがあります。ある時、干し草の中から針を探せといわれたらどうするかを問いました。自分と他の人々との違いを示すためです。彼は次のように答えました。「たいていの人は、針が1本見つかるまで探し続けるでしょう。しかし私は、針が全部見つかるまで干し草の山の中を探しつづけるのです」と。この集中力には驚かされました。
「律法の文字の一画」がなくなるというのは、本当に小さな点がなくなることを意味します。その点ひとつで意味が違ってきます。ですからそれがなくなるよりも天地が消える方が易しいと、イエス様はいわれたのです。注意深く集中して、神様の御心を聞きなさいということでしょう。御言葉の一点、一画を大切にしているかが問われています。