ルカ 24:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
ルカ福音書の中でも「マルタとマリア」姉妹の話は有名です。イエス様の接待に忙しい姉マルタとその足元で話を聞いているだけの妹マリア。ついに姉マルタはイエスさまに訴えるのです。「わたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか」と。なぜ彼女からイエス様に対して、このような心にもない言葉がでてきたか。それは「せわしく」(聖書には忙しいという言葉はありません)立ち働いて、何かを見失っていたからでした。
全国の教会訪問をしていると、必ず聞こえてくる言葉があります。それは「牧師先生は忙しいから」という言葉です。教会で「忙しい」が聞こえない所はないようです。ところで「うちの先生は忙しいから・・・」の「・・・」に何が入るのか。牧師は一度ゆっくり考える必要があります。忙しいという字は「心が亡ぶ」と書きます。そこに心がないということです。教会の中からこの「忙しい」という言葉がなくなる日はくるのでしょうか。いっそ禁止語句にすればいいと思います。たとえ忙しくみえても、心がそこにあれば教会や牧師がそこでしなければならないことが見えてくると思います。「・・・」がみえてくるのです。
イエス様は「せわしく」働いていたマルタに「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と言われました。そして必要なことはただ一つ、目の前におられるイエス様のみ言葉きくことだと言われました。心が亡んでしまわないように、いま何をイエス様は求めておられるかを考えましょう。忙しそうに働くことではないと思います。