長く慈愛園パウラスホームに入所しておられた、村田志げ姉が2月18日午前10時48分に神様のもとに召されました。93歳でした。もうずいぶん長くパウラスホームにおられましたので、女性会の方々の訪問を楽しみしておられたそうです。大江教会から送られてくる封筒はいつも開けてあり、週報・月報をいつも読んでいてくださいました。
村田志げ姉は、茨木県で生まれ、岩手、群馬、秋田で小学校時代を過ごされ、高等女学校を高崎、長野で過ごし、熊本第一高女で学ばれています。家族の転勤にともない、移動されたことは志げ姉にとってどんなことだったのでしょうか。キリスト教との出会いは、マーサ・H・ミラー先生から音楽を習われたことがきっかけのようです。内海季秋先生より洗礼を受けておられます。その後、民生委員、児童委員をされ「星のひかり合唱団」をつくり10年間活動をされています。
村田志げ姉は、一方で「短歌」を詠んでおられます。歌文集「銀草子」という句集を出版されています。そこには、ご自分の病床での出来事や、お母さまを天に送られたときの心模様など、多くの短歌が残されています。
かすかに息する胸の間をおきて止みし時あり 母よ 母よ
これは、お母さまを肺炎で天に送られたその日に読まれた歌です。
痩せし肩二つふるわせ母上は遂にこの世の息絶え給う
今しも天に昇りゆく母上よ母上よと祈り主のみ手に縋る
「山路超えて」を好みし母にさびしさのなしと思わね更に涙す
お母さんの死をとおして、村田志げ姉が見つけた信仰の証は何だったのだろうと思います。神様にすべてを委ねつつもやっぱり母を亡くした悲しさを正直に歌にされたのだと思います。その気持ちを正直に神様に言えるという信仰だったのでしょう。私は次の歌に心が揺さぶられました。
お母さんお母さんやっぱり会いたいそう思う心の端に骨壺があり 茂子
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