マタイ 25:34~35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
石巻日和山には、あの日おおくの人たちが駆け上りました。いま2年がたち、毎日この山に来られる方がたくさんおられます。ここは津波によって何もなくなった石巻市街地が一望できるのです。この町はこれからどうなっていくのか。溜息まじりに話してくださる方もおられます。あの日、被災者の友達はここまで逃げてきました。振り返った時、黒い波と悲鳴がそこで渦巻いていたそうです。そして幼い子どもを抱きかかえて流されていく母子を見たそうです。そのときみた情景を毎日夢で見ると言われました。毎日です。大きな地震が来たときに彼女は叫びました。「もう、赦してください」と。この叫び声に誰が応えることができるのでしょう。
イエス様の十字架の道行にはいくつかの伝説が生まれました。ベロニカという女性がイエス様の顔を布で拭いました。するとその顔が布に写ったのです。この伝説も素晴らしいものですが、イエス様の苦しみに寄り添おうとした女性がここにいたのです。痛み苦しみのなかで一番してほしいことは、そこに寄り添うということだと思います。
【第六留 イエス、ベロニカより布を受けとる】
司式:主イエスは、道を進まれるに従い苦しみの汗が顔から流れました。一人の婦人が心打たれて、持っていた布でその汗をぬぐいました。不思議なことに、主の顔かたちがその布に残ったという美しい伝鋭が残りました.
主イエスよ、私たちが真心から主の苦難を思い、自分の罪を悔いるようにしてください。隣人の苦しみに冷淡になるような利己主義から解放し、ますます主を愛する心を与え、隣人の中にあなたを見出していくことができますように。
一同:あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
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