詩編 22:15~16 わたしは水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、心は胸の中で蝋のように溶ける。口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
雄勝という地域も全壊しました。バスがビルの上にのっていたところです。雄勝という地名はアイヌの言葉だといいます。多くの人たちが流され天に召されました。私たちルーテル救援が支援していた仮設住宅にはこの地域の方がたくさんおられました。でも、一つの仮設ではなく分散させられておられました。地域がなくなってしまった。コミュニティが破壊されてしまった。これまでは、地域ぐるみで生きてき人達でした。助け合い支え合い生きてこられたのです。津波は家、建物だけでなく、一番大切な地域を破壊したのです。せめて地域の再生ができればとねがっています。地域再生の中心に、地域の祭りがあります。つまり神様が中心なのです。
イエス様ついにゴルゴタの丘まで来られました。自分の死を目の前にされてなお、最後にまた倒れられました。もう限界だあったのです。それでもなお引き起こされ十字架の道を歩まねばならなかったのです。私たちの罪のあがないため。私たちの救いのために。そこまでして私たちを愛し、私たちのために生きたお方が十字架を背負っておられます。私たちの信仰はこの主イエスの十字架によって与えられたものです。
【第九留 イエス、三度倒れる】
司式:主イエスは、処刑の場カルバリの丘に近付かれ、三度(みたぴ)倒れられました。兵たちは手荒く主を引き起こし刑場に向かわせます。それは救われるためでも生きるためでもなく、死の滅びに自らを委ねるためです。
一同:あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
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