ルカ23:23~24 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
巡礼の旅の第1留は「閖上日和山神社」です。あの日この小高い小さな神社の木にしがみついて助かった方がおられます。目の前の全ての家が流されていく中、この木だけは流されませんでした。今この場所に立つと、あの日の出来事は一体何だったのだろうと考えさせられます。なぜすべてが流されたのか。神様ってどこにおられるのだろうと。
イエス様は死刑の判決を受けられます。ピラトはなんとかしてイエス様を釈放しようとしていますが、結局群衆の「十字架につけろ」と言う声に従ってしまいます。このときイエス様は何も言われませんでした。目の前の出来事、自分を死に渡そうとする裁判に対しても何も言われませんでした。なにも悪いことをしていないイエス様が、罪ある人間に裁かれたのです。この出来事は一体なぜですか。私たちはこの裁判の前に立ち、沈黙の中でつねに問うているのです。
【第一留 イエス、死刑の宜告を受ける】
祈り:主イエスは、いろいろな辱めを受け、カヤパからビラトに渡され、その背は鞭でいためられました。頭には茨の冠が被せられ、真紅のマントを着せられています。
主よ、あなたは、私たちの日々歩むべき道がどのようなものか、またどのようにその道を歩むべきかを身をもって示すために、今、死の裁きの前に立たれます。正義が不義に裁かれ、愛が憎しみによって報いられます。
あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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