1テサロニケ 4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
教会事務局に働いているときに、多くの牧師さんと出会いました。その中でいつも「他に言うことはないのかな」と思える方もありました。その牧師さんは、いつも挨拶もなく「今日の交通費は?日当は?」と言われるのです。まずお金のことが最優先でした。事務局としてはきちんと準備してあるのですが、最初にお金のことを言われるたびに職員も嫌な気持ちでした。きっとその牧師さんの中に何かはあると思います。しかしその一言で職員が、牧師にたいする真摯な感じを失くしていくのは残念でした。
パウロは「汚れた生き方」を厳しく戒めます。神様がどのように招いておられるかを考えなさいと教えるのです。汚れた生き方がどのようなものであるか、それは神様と自分の関係でしかわかりません。今の生活は神様の前に「聖なる生活」となっているかを自分で吟味することです。ところがこれが難しいことです。人間はすぐ誤魔化して生きようとするからです。まず自分を誤魔化すことを始めます。するとすべては汚れた生き方になって行くように思います。
ある時、広島空港からの飛行機に、国の重要人物が搭乗されるのかSPの方がたくさんおられました。その人数と物々しさに、ビックリしました。機内に入り座席につくとしばらくしてその方が搭乗されました。しかも一つ前の席に。私はSPの方々に囲まれてしまったのです。その方は、小沢一郎氏でした。なるほどと納得してしまいました。上空にあがり機内ではNHKニュースが放映されました。するとニュースのほとんどが彼に関することでした。自分のニュースを自分で見るってどういう感じかなと思います。全てをしっているのは神様と自分だけ。神様と自分の関係において「聖なる」ことに「真摯」であれることを教えられました。
パウロは「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」と教えています。神様が私たちに求めておられることは、「聖なる生活」に対する「真摯さ」だと思います。神様と自分の関係において常に考え、神様が求めておられることを確かめることです。汚れた生き方とは、神様を自分とは無関係に置く生き方だと思います。
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