マタイ 26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
イエス様がベタニア(エルサレムから3キロぐらいの所にあるオリーブ山斜面にある村)で重い皮膚病のシモンの家におられた時のことでした。一人の女性が極めて高価な香油をイエス様の頭に注ぎかけたのです。ある人はこの行為を「聖なる浪費」といいました。イエス様一人に高価な香油を惜しげもなく使用した行いは、ある意味もったいないこと無駄なことそこから「浪費」という考えがでてくるのでしょう。無駄にするよりお金に変えてもっと有効にもちいるべきだと。しかし、イエス様にとってはどうだったでしょうか。
ヨハネ福音書ではこの女性はマリアとよばれ、マグダラのマリアという説もあります。イエス様に高価な香油を注いだことを覚える日も受難週にあります。イエス様の弟子たちは、高価な香油を無駄にするなどばかげたことだと憤慨しています。しかしイエス様は「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」といわれました。イエス様の言われたとおり、この女性の行為は後の世にも語り継がれています。
熊本地震の中での支援物資を配布する行為とは一体何かなと思います。緊急支援ではその意味がよくわかります。しかし、すでに緊急ということがなくなったあとはどんな意味があるのかと思うのです。物資配布は物資配布するだけでなく、実はその後のつながりをつくるという大きな意味があります。何のためにそれを行うかをよく考えておかないと、物資を配って終わりとなります。だからこそ宣教を目的とした物資配布ではなく、イエス様が本当に喜んでくださるつながりのためにそれをおこなっていきたいと思います。
十字架を目前にひかえ、死ぬ準備をされている。そこに死んだ後使用する香油を注がれる。神様の御心によってなされる十字架のことをマリアだけが知っており、その準備をしたのです。神様の御心にかなう浪費というものがあります。それを「聖なる浪費」と呼びます。
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