ヨハネ 11:9 昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。
事務局勤めになって「時間管理」ということを学びました。宣教現場にいた時は、「牧師は24時間営業」と時間はあってないようなものでした。事務局で職員がおり、自分だけで仕事をしているわけではありません。共に働く方々の時間管理の必要があります。一人で働いているときはすべて自分の時間でいいのですが、チームで働く場合は人の時間を奪ってしまう危険性があります。管理職に求められている重要なことは「時間管理だと思うようになりました。さて、時間を管理するとはどんなことでしょうか。1日に自分が何に時間を使っているかを調べてみました。するとパソコンモニターを眺めている時間が多いのです。教会の事務関係の仕事ですから当然ですが、多くの時間を無駄にしていることに驚きました。この時間をどう管理していくかを考え中です。
エルサレムの近くベタニアの村にマルタ、マリアそしてラザロが住んでいました。イエス様が愛された家族です。そのラザロが病気になり死んでしまいます。イエス様はラザロが死んだあとに彼らの家を訪問されました。イエス様は、ラザロが死にかけているのを知っていながら、その死を待っていたかのような行動をとっておられます。その後、イエス様はラザロを復活させます。ラザロの奇跡を通して御自分の「復活と命」について教えるためでした。その中で「時間」についても語られています。
事務局の勤務時間は、朝9時から夕方5時までです。この中で与えられた仕事をします。職員に残業させる働き方は、管理職が時間管理していないからです。やる仕事が多い場合は残業も仕方ありません。残業時間が増えることは、時間管理ができてないことを表明しているようなものです。管理職がきちんと時間管理と時間整理をすれば5時に終わります。管理職にもいえることで、自分が残業して仕事をすることも時間管理ができてないことです。なぜそんなこと考えているのか?ホントは自分の時間をどこでとるかを考えているのです。聖書を読み祈る時間。魂の休息の時間。体の休みの時間。家族と過ごす時間。神様の宣教のために使う時間。これらは時間管理をしなければ生まれてきませn。「何のために働いているのか?」この問いを持った時から、神様と自分の時間をどのように増やしていくかを考えはじめました。
イエス様は「昼間は十二時間あるではないか」といわれました。それをどのように用いて行くか。また夜も十二時間あります。この時間が与えられている私たちは賢くその時間を用いることを求められています。時間の使い方、休むこともその用い方の一つです。自分の成長のために時間管理ができればと願っています。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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