マタイ 18:19 どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
島根県にある美都温泉には、桧をくり貫いた湯おけと椅子があります。それがとても気に入ってしまいました。受付の人に聞けば、美都町で作られているとのこと。さっそくそこへ出掛けてみることにしたのです。するとそのお店にはたくさんの木の道具がありました。そのすべてが木をくり貫いて作られていたのです。桧、杉、樫の木、桑の木、樅の木、桜の木、柿の木、銀杏の木と。すべての木でお椀がつくられ、その種類に驚きました。しかもその工芸品はすべて廃材を使ってあるとのことでした。これまで木としてみなかったものに、個性があり、それが一つに集まって木となっているといことに改めて驚いたのです。
イエス様は、「兄弟が罪を犯した場合にはまず2人だけになって忠告しなさい」と教えます。それでもダメなら、一人か二人をつれていって忠告しなさいと教えます。それでもだめなら教会に申し出なさいと。一方、願いごとに関しては、「あなたがのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら」といわれます。どちらも「まず二人で」ということが基本になっています。この二人という単位は何だろうかと思います。
会議用のワークショップ入門書を読んでいます。その中に、「私たちとは何か」という問いかけがありました。面白かったのは「You and I」と「We」の違いは何かというものでした。どちらも日本語では「私たち」になります。その本によると、「あなたと私」に第三者が加わったときに「我々」となると教えていました。この第三者をいつも感じ、受けとめている重要性をといていました。まだ読み始めたばかりなので、そのことの意味はこれから学んでいきますが。たしかに人間関係においてこの第三者の視点は確かに重要だと思います。
イエス様がまず二人でと言われるときも、この第三者の存在があるように思えます。その第三者はイエス様です。つねにそばにイエス様を感じるところで「忠告」「願い」がおこるのです。私たちの教会の仕事の中にもこの「第三者」である、イエス様を感じながら与えられた働きを勤めていきましょう。
<音声礼拝説教は「神様の色鉛筆」でどうぞ>
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