ヨハネ 19:23~24 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
大川小学校には、何度訪れたかわかりません。多くの人たちをここにお連れしました。しかし、被災地の外からやってくる方々は同じことを聞いてきます。「なぜあの裏山ににげなかったのですか」と。はじめは「あの日は雪がふっていたそうです」とか、「金網があって登れないと判断された」とか答えていました。しかしあるときから何も答えないことにしました。私の中に「いまあなたがそれを問うことは何になるんですか」という思いが湧き上がってきたのです。ここで多くの子供たち、先生そして地域の方々が命を落とされた。その事実と向かい合ってほしいと思っていました。痛み苦しみと向かい合う。「なんで」という問いは、その痛み苦しみを避けるためにある問のように聞こえます。その場に身をおいた私たちは、多くの方々の命がここにあることをうけとめねばならない。そして遺された家族の痛みに寄り添うことができればと願わずにはおれないのです。
イエス様は、ゴルゴタの丘ですべてを奪われてしまわれました。着物をはがされ、命さえも奪われてしまわれます。何も悪いことはしていないのに、何の罪もないのに。しかしそれを黙って受け入れておられます。これも全ては私たちの罪をあがなうためでした。私たちは十字架によって救われます。しかしイエス様はそれゆえにすべてを奪われたのです。それは私たちを罪から解放するためでした。
【第十留 イエス、衣をはがれる】
司式:主は、神の小羊として捧げられる所にお立ちになりました。着物をはがされ、あざける人々の前に立たれました。
人々は、主よりすべてを奪いました。着物も友も肉親も弟子も、そして命までも。しかし、すべてを失われることによって、私たちに大いなるものを用意されます。
主イエスよ、いかなる時も、ただあなただけが私たちのすべてであることを、何にまして、主ご自身をかち得ることを悟らせてください。
一同:あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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